2010年7月22日木曜日

バナナを、と~ってもゆっくり食べてみたら・・・・

お腹が空いたので、バナナを食べていました。

お腹が空いた時に、キッチンのカウンターの上に置いてあるよく熟したバナナが目に入ったので、空腹を手軽に満たそうと思ってバナナにかぶりつきました。

あっと言う間に1本食べてしまい、1本目があまりにも美味しかったので、もう1本食べる事にしました。

2本目を2、3回かぶりついたところで、とてもゆっくり食べてみようと思いつきました。

スカイプでの、たかまささんからの提案をやってみようと思いつきました。

すごくすご~くゆっくりです。

まず、バナナをすごくゆっくり口にもって行きました。

ゆっくり。。。ゆ~っくりと動作をはじめたとたん。。。魔法が起きました。

「ええ~っ? うわ~っ!」

わたしの目に映るそこには。。。今まで見た事のないバナナの、ミクロの世界が繰り広げられていたからビックリしてしまったのです。

バナナの皮の内側の。。。模様の繊細さ・・・無数のひだ。。。果肉を食べた所の切り口の美しさ。。。まるで、目がバナナの細胞のひとつひとつを捉えているように映ったんです。

バナナが口にゆっくりと近づいてきて、口がゆっくりと噛みました。

バナナの果肉が、ゆ~っくりと舌で転がされて。。。その感覚を楽しんでいたら。。。その時、また魔法が起きました。

なんと、バナナの細胞のひとつひとつが人として感じられたのです。

無数の人がひとりひとり、口のなかにとろけて入っていきました。

なぜ?そう感じたのか、理屈ではわかりません。

人になったバナナが、わたしの口に入った瞬間に、感謝心が沸きあがってきて泣けてきました。

しばらく、涙が止まりませんでした。

泣いている私は、細胞のひとつひとつの命を感じたのでしょうか?

愛をかんじたのでしょうか?

そこには、バナナからの、理由のない、見返りのない「思いやり」が確かにありました。

その無数の「思いやり」を感じたとたんに、嬉しくって泣けてきたんです。

私たちが普段何気なく食べている食べ物って。。。きっと神様からの愛なんだろうな~。

とっても不思議で、幸せで、美しい体験でした。

美味しかったよ!

2010年7月20日火曜日

スカイプセミナーの感想

はじめて、セミナーに参加した二人と合わせて四人で聞きました。
エゴのゲームのお話でOさんの体験談がとてもわかりやすく好評でした。
いつもいろんな場面でエゴのゲームをしていることがわかりました。
初めて参加した人の感想です。 
 
 ☆自分を変えようと思ってセミナーに来たけど、変えなくてもいいんだという発見がありました。
  
 ☆セミナーを受けたり、話を聞いたりして、その場でふぅーんと思うだけでなく、
   いつも思い返して心の勉強をしていくのって大事だなと思いました。

主張する自分がいなくなった

日ごろ、皆さんの体験を読んではすごいなあと思っています。

そんな私にも、これは報告しておこうと思うことがありました。

先日、「変わりましたね?」と言わました。

そうかもしれないけど、どうしてそう思いましたか?と訊くと、

「話をしていると必ず『でもボクはね』と主張するのがいままでなのに、

それがないのでアレ?と思っていたら、今日もまたそれがないので、

やっぱり変わったのかなと思った」ということでした。

自分では自覚がないことなのですが、

性格的なところ、あるいは無意識なところが変わるということは自分の力では絶対無理だなあ、

となんだか感心しています。

スカイプサットサンガ感想

スカイプサットサンガ参加させて頂きありがとうございます。
「以前はどんな事で喜びが、現在はどんな事で喜びを」
のセッションで、以前の事が、思い出す事出来ませんでした。
以前は、逃げる事だけを考えていて、喜びよりも、苦しみのほうが多く、
生きる事も嫌で、自分が消えてしまいたいと考えていました。

今はおかげさまで生きている事、健康で暮らせる事、
またいろいろな事に(喜び)感謝出来るようになりました。
ありがとうございます。

先日は絵本メッセージありがとうございました。
そのことで、ご報告させて頂きます。
姪は体が不自由で、自分で自分のことが出来ません。
でも、みんなの力でお話することと、ゆっくりですが、ひらがなを読むことが出来ます。
先生に「まいちゃんへ」と書いて頂き、一字一字「にこにこ」しながら読んでいました。
私はその笑顔今でも忘れません。とても感動しました。 ありがとうございます。

「ピカピカのこころ」の絵本は心穏やかにしてもらえます。

                  優しい気持ちになれます。
                  自分に素直になれます。
癒される絵本です。 


もう一人 絵本で感動した方がいましたので、ご報告させて頂きます。
私におばあちゃんのことで相談して下さる方がいました。
その方のお話によりますと、被害妄想が強いとのことでした。
私は、相談して下さった方に絵本をお見せしました。
後、自分がこころ落ち着いた事お話させて頂きました。
するとその方も、「こんな気持ちになっていられると穏やかでいられるね」
と言って下さり、絵本お借りしておばあちゃんにお見せすると言って下さいました。
初めはあまり興味を示さなかったそうですが、次からは、絵を写しはじめ、色も
塗りたいから、まだ貸してもらいたい事をお聞きした時にあまりの感動で、
涙がでました。
「おばあちゃんにプレゼントしてあげて下さい」とお伝え出来本当によかったです。

写したノートを見せて頂き、またまた驚きました。
まるでコピーしたように写してありました。
「おばあちゃんが自分から、この年齢になってわかった」
と全て自分だったと気づけたとおっしゃったとの事です。

「おばあちゃんから私は悟る事が出来た」
とおっしゃたとの事です。

「おばあちゃんはまるで別人のように変わってしまった」
とお聞きしました。

「言葉遣いも違うし、お顔も以前とは全然違いすっきりしている。」
との事です。

「自分が楽になれたからいろいろな人に伝えたい」
ともおっしゃって頂けたとの事です。

とてもうれしくご報告させて頂きます。
ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。

忘れていた傷

「苦しんでいる人に対して」を聞いていて、まだ傷ついた子供の私が沢山いる事に気が付きました。

毎日父が帰ってくると瞬間的に嫌悪感を感じます。
母も同じらしく、「ちっ」と冗談で舌打ちしたりします。
ただ、前と違うのは父に対して愛情も感じています。

昔の傷付いた事を書き出すワークをやってみました。

大きな出来事は何回もトライしている為か、嫌な感情は貼り付いていないのに、それほどの事でもないと思っていたような忘れ去っているモノに傷が残っている事に気が付きました。

もう済んだと思っていた事でもビミョ~に嫌な感じが残っているものもあり面白い発見でした。

まだ途中なんだけど、自分に掛かっていた曇った膜をちょっとふき取れたような感じで久々にクリアな感覚を思い出しました。

あらためて幼少期の頃のチャージに気づく大切さを思いました。最近おろそかにしてました・・・。

ありがとうございます。






もう終わったことと思っていても、心の中で終わっていないことがたくさんあります。

遠隔ディクシャを受けて

我が兄姉一族、、昨年1月からはじまり、今年の2月から現在11名くらい遠隔をお願いしています。


最初に、「もし何かあったら連絡してね。」といっておいたのですが、何も言ってきていません。
開始した2月以降、まったく誰からも愚痴は聞かれません。

数度、こちらから連絡したことがあり、平和になったことは確認しています。

ネガティブをぶつけ合い、ゴタゴタの絶えない 一族でした。
とにかく「怒り・悲しみ・憎しみ」がいっぱいなのです。
とにかくぐちゃぐちゃでした。

正直、毎回、ああだこうだと聞かされる 私にとって おもーい人たちでした。
私も含め みな、気づかぬうちに 穏やかになりました。

私自身今年はじめから 肩を痛めて、自分以外の人間に気を配る余裕はなく、
ずっと「お願いだから おとなしくしていてね。」
と兄姉たちのプレゼンスにむかって何度となく投げかけていたせいか、
ほんとうに、ずっと 平穏な日々が続いています。

大人になっても親に褒められたい

「以前はどんなことに喜びを感じていたか、今はどうか」を思い起こすセッションで思い浮かんだ事は「親に褒められる」事でした。
より正確に言うと、母親に褒められる事でした。

今はどうだろうと考えてみましたが、やはり母親に褒められる事は大きな喜びであり、また望んでる事でした。

妻と一緒に居る事も大きな喜びですが、その部分は満たされています。
母親に褒められる事はほとんど無いので、今でも望んでるんだなと気が付きました。

そこで気が付いたのは、私の子供の部分を癒す、満たす必要があるのだと思いました。

恩寵を願いながら、意図して癒す、満たして行こうと思いました。

ありがとうございました。

そういえば気づいたこと

以前の私は会社の上の人と話をするのがなんとなく

苦手でした。

私の話し方や態度によって相手が気に入らなかった場合、

相手との関係が悪くなってしまうと思い込んでいたと

思います。

今は、まったく恐れや緊張はなしです。

なんで緊張していたのかなと思うぐらいです。

しかも、つまらないギャグまで堂々と言えるように

なりました。

以前は緊張があったため、相手にすれば話にくかった

ろうと思うし、人間的につまらないと思われていたかも

しれません。

今は以前よりも人間関係は良好で、信頼関係も

強くなったと思います。

丁寧な言葉遣いをするとか、社会人としてのマナーは必要

ですが、相手が誰であろうが普通に話をしてもいいんです。

勝手に判断して自分で苦しみを作っていたことに

気づきました。

自分を愛するなんて不可能と思ったのに・・・

ディクシャによって、脳が出来事屋自分自身を受け入れる状態になっていきます。

もちろん、一気にその状態になる方ばかりではありません。

でも、その状態になったとき、自分自身への嫌悪感がなくなり、そのままの自分を受け入れることができます。
そのとき、心に平安と悦びが常にいるようになります。




「自分に素直になる」聞かせて頂きました。
嫌いな自分を書き出したら、するすると30ケ位出てきました。
そのメモを見て、こんなに沢山あるんだとショックでした。
こんな自分を愛するなんて不可能に近いと思いました。

ところが数時間後、なんだか嬉しくなってきてワクワクしていました。
自分の嫌いだったところを思い出そうとしても何も出てきません。

簡単なワークなのに効果大ですね。
ありがとうございました。

2010年7月13日火曜日

盗まれたのに、嫌な感覚が出てこない

一晩中降り続いた雨も朝には止み、今日は原付で出勤出来る~♪とヘルメットを持ってマンション下の駐輪場に降りました。
私の移動手段はいつも原付です。楽なんですよね~。お金もほとんどかからないし。

でもそこには、原付の影も形もありませんでした。

マイバイクが?あれ?ないのかぁ~♪と思ってそのまま又部屋に戻り、ヘルメットを置き、バスに乗るのでもう少しまともな格好に着替えて何事もなく出勤しました。
その間に、何にも頭に浮かびません。
なんというか、なんなんでしょう?コメントが浮かびません。静かにやることを淡々とこなす感じです。

バスでお店に着いた後は、予約のお客様をこなしていきます。

一日終えて、「あぁ、そうか!バイク盗まれたのか」と思って、片道5キロ楽しく歩いて帰りました。
毎日帰ってからウォーキングに行くのですが、これは一石二鳥?とか思いながら「いやいや、ここって焦るとこ?」とか浮かんだりしながら、それがなんともおかしくてたまりませんでした。

7/10~11東京アウェイクニングコース感想文

1日目

アウェクニングした状態の話は興味深く、分かりやすかったです。
ディクシャしてもらった後に、目を閉じ、自分の考え、マインドがすぐにやってくるのかを見るということは初めてだったので、新発見でよかったです。
テレビを消した後のように、少しの間何も浮かんでこなかったです。



ディクシャを受けてもエネルギーの感受性の乏しい私は、相変わらず直接的には何も感じず、何の体験もありませんでした。
ただ今回ふと気づいたのは、何かが起こることに不安がある自分でした。
「突然怒りがこみ上げてきたらどうしよう」「体調が悪くなったら困る」とか、
職場で自分を保てなくなったら・・・・という不安から、自分の中で何かが動くことに抵抗している自分がいるのではないかということです。
「明日から休暇でも続くならいいけど」と思う自分がいるので、社会的な場面で自分がコントロールを失うことを酷く恐れているのでしょう。そんな自分をもう少し見つめてみたいと思います。
ホテルに戻ってからは、残っている仕事のまとめをしようと思いましたが、気力が続かず、早目に入浴しました。
湯につかっていると心臓の鼓動がはっきり感じられ、ちょっと感覚が異なるように思いました。
予定していた読書もする気力がなく、瞑想しようとしましたが、これも壁にもたれかからないと姿勢を保てず、ウトウトした状態になってしまったので、あきらめて就寝することにしました。
休息が必要ということでしょう。
「ディクシャってこんなに疲労したかなぁ?」と思いながら眠ったのですが、
以前なら「こんなに早く寝るのはもったいない、時間の無駄だ」と思う人間だったので、
そこらはディクシャの影響ではないかもしれませんが、無理な頑張りをしなくなったし、頑張らない自分をあまり責めなくなっています。
鹿島さんから「ディクシャだけではうまくいかない人もいて教えも必要です」と言われたことで、自分は教えによって自分を見つめ少しずつ変化していくタイプかもしれないと思いました。
「ディクシャだけで変われる人は楽でいいなぁ」という気持ちもありますが、まぁこんなテンでいいかなと思っています。
朝目覚めて、9時間も眠ったのに、まだアクティブないつもの自分に戻れていません。


セミナー開始と共に眠い。
ギバーの方が集まると空間のエネルギーが変わる。午前中はひたすら浄化でした。
午後は、涙、涙、涙。
本、ホームページで読んでいたお話を聞いても、受け取り方がまるで違いました。
頭だけで分かった気になるのは、戒めたいと思います。
何度も参加したいセミナーです。インストラクターが増えて地方開催が増えると嬉しいです。



ディバインプレゼンスと繋がる瞑想で、最初、背中の右側がうにょうにょ動いた感じで、その後、ずっと背中全体が熱いくらいでした。
ハイヤーセルフ、インナーチャイルドと一体化したいと思っていたのでできたのかもしれません。
聖母マリアとも繋がった感じで、「アウェイクドできるか?」の問いに、「出来ないかもしれないということにフォーカスせず、できると信じていればできる」と言われたので、そう信じることにしました。
両親の瞑想で、私が傷つけたことを私が謝るまえに既に両親は許していた(気にもとめていない)事が分かった時に愛を感じ、涙が出ました。良かったです。



今まで、何度かディクシャを受けているが、劇的な変化があったという体験はしていない。
今回も、今のところ劇的な変化はない。でも、本を読んだり、考えているときに、いつもより集中しているような気がする。



初めて参加させていただき、会場に入るとすぐに眠たくなり、時間もあっという間に過ぎていた。
お話の内容は、ほとんど眠たくて聞いていない状態だったが、細胞が記憶しているような感じがした。
帰り、体が軽くふわふわ浮いているような感じだった。



スタッフの方々、いつもお世話になって本当にどうもありがとうございます。
セミナーだけでなく、メーリングリストもいつも拝見させて頂いて、気づきや元気をいただいております。
今日はこのセミナーに行った方がいいという感じが前からあったのですが、ちょっと参加すると私にとってはハードスケジュールのような気もしていました。
朝昨日の大雨から一転して眩しい朝日が差し込んでいました。
体は正直で「疲れていても大丈夫。セミナーに行った方がいいよ」とでも言っているかのようにすっきり早起きしていました。
予感した通りセミナーが始まると、エネルギーがたくさんたくさん注いでいるらしく、ボーっとしてきました。
とても素晴らしい一時が始まりました。
5月の連休の時も素晴らしかったけれど、今回はさらにパワーアップしたようにも思いました。
ディバインとの絆を深めるワークで鹿島さんが「サインと見せてと頼んでください」とリードしてくれました。
私はその通りディバインにお願いしました。
紫の光が渦を巻いているようでしたが、これはよくあることでした。
「白く明るくしてみて」とお願いしました。
少しすると、そうなったように感じましたが、はっきりしたものではありません。
「7色にしてみて」とまた願いました。今度は赤や黄色や青は見えたような気がしました。
「緑が見えない、緑も見せて」とお願いしました。そうしたら緑が見えたような気がしました。
涙がたくさん溢れてきました。
両親との関係を整えるワークでは、「今まで傷つけられたことを全て許します。これまで育ててくれてありがとう」というリードに素直に従えない自分がいました。
Aさんに負けない位、私も両親との関係で幼いころから大きな傷を負っていたからです。
そして今でもそのトラウマに苦しみ抜いているからです。
でも、Aさんと同じようにある程度大きくなってからは、私がやりたいことを全部やらせてくれたり、少なくともそうしてくれようとしていたことい気づきました。
両親の立場になってみて、今まで頭の中でしかそれが出来ていなかったように思いました。
私はディバインにその方向でいられるように(両親に対して今まで傷つけられたきたことを全て許します。今まで育ててくれてありがとうと心から言えるように、その前にいつまでも両親も自分も光に包まれて一つになれるように)願いました。







2日目


感情から離れるのが早くなりました。


最初のディクシャの後のシャバアサナで、右手の親指と人差し指の間の付け根に木の棒?
のようなものを持っている感覚がありました。あれは一体なんだったのでしょう?
チャンティングでは、口でしゃべりながら、いろいろ考えている自分がいて、「私って色々なことを考えちゃうなー」って思った途端、おかしくなって笑いがこみ上げてきました。
一瞬ですけど、音楽に合わせてしゃべるのは、ラップを歌っているようでしゃべりやすかった(時間を感じずに)です。
ありがとうございました。



2日目、とても楽しかったです。
7月の京都出来れば行きたいです。
いろんな人にこのディクシャのことをシェアしていきます。



前回のイニシエーションは、頭の中が引っ張られる感じがしたが、今回のイニシエーションでは、物理的な感覚よりも楽しさがこみ上げてきて、最中に顔がニヤニヤしていました。
不思議な感じでした。ダンスディクシャも楽しく気持ちよく踊れました。
何か自分が進化した感じです。ありがとうございました。
次回もできたら参加したいと思います。
魂の向上と進化をめざして!



久しぶりにこうしたコースに参加させていただきました。
まだ頭がボーっとしたり、反対にすごくスッキリしたりという感覚が交互に起きています。
普段私は特に動物や動物と暮らすご家族にディクシャをしていますが、
動物達はエネルギーに敏感で、内側の変容も早く起きるのを目の当たりにしてきています。
人も内側の葛藤に気づき、それと向き合ってみたいという人が増えているように感じられます。
今回のセミナーに出席させて頂いてまたたくさんのディクシャギバーの方が誕生されたことは同じファミリーとしてとても嬉しく思います。
私もよりパワーを頂けた気持ちでいっぱいです。
有難うございました。また是非出席させていただきたいと思います。



49分のチャンティングは、音楽に合わせて踊りながらのもので、「私は愛です」と唱えるものでした。
これの最中に、一瞬胸にグッと来て、涙ぐみそうになりました。
チャンティング、言葉には力があるのだと改めて思いました。
よく体を動かした一日でした。気持ちよく疲れました。


楽しかったです。
今日はシャバアサナの時に泣いてばかりでした。
悲しいというより、私達は本当に大きな愛みたいなものなんだなぁと。
どんな体験も全て過ぎてしまえば愛の体験になるんだと思いました。
人はこうやって愛を味わって戻っていくんだと。
ムクティの時は、最後の方で「そのままでいい」と言われたように感じました。
また参加させてください。
本当にありがとうございました。



この間の七夕セレブレーションに参加してから、心が重苦しい感じが出て来てしまってずっと続いていました。アーナンダの技も何も効きませんでした。
そんな感じだったので朝もいつもの違って何かもう行きたくないな~とも思っていましたが、もしかしたら調子が良くなるかもしれないので来ました。
途中ダンスチャンティングあたりで少し楽しい感じが戻って来ました。
パドカディクシャの時に、笑いがこみ上げていました。
今までそういう人たちを見ていて不思議だったので、自分が体験してびっくりしました。
とにかく今日は色々といつもと違うな~って感じでした。



今日も一日どうもありがとうございました。
いろいろなディクシャをたくさん受けられてとても良かったと思います。
ダンスディクシャをしてムクティの49分間のダンスは私には少し長いような気がしたので、ダンスディクシャの代わりにチャクラディアーナのバージョンの方が、かえって思いっきり踊れそうな気がしました。
鹿島さん、スタッフの方々いつも本当にありがとうございます。
新しいディクシャギバーの初ディクシャを受けれて光栄でした。



あっという間の2日間でした。
ダンスディクシャでは、体がすごく喜んでいるのが分かりました。
30年ぶりくらいに踊って楽しかったです。
最初、後ろにいる人が「いい年して」「おばさんのくせに」と思っているのではないかと思っていましたが、あ~、私ってそんな風に感じているんだと気づき笑っちゃいました。
「私は愛です。」も言っているうちに、細胞に染みこんでいく感じでした。
最後には大きな声で唱えている自分がいました。
ありがとうございました。



今まで繋がりのなかったアンマ・バガヴァンの子供になった気がします。
安心感が増した。



どのよう事が起きるのかと思っていたが、特別なことはなかった。
でも、これからディクシャをしていくことで、どのようなことが起きていくか楽しみです。



今日で3回目の参加です。
会場が広くてダンスディクシャがのびのびと出来てより楽しく行えました。
イニシエーション、ダンスディクシャ、チャンティング、パドカディクシャの後のシャバアサナの時、こんなにも地球の重力って強いんだなぁと感じました。
体全体が床に引き込まれる感じがしました。
セミナーの参加を重ねるごとに、心の重さが軽くなっているのを感じます。
イライラしなくなったし、人に優しくなってきたように感じます。
もっともっと体験を深めていきたいと思います。
スカイプセミナーも思っていた以上に良かったです。気づきがあります。


ギバーになる流れ、一日感動的で素敵でした。
最後に3人の方にディクシャをさせていただきました。
2人目の方と3人目の方にしている時は流れていく感じ、繋がっている感じ、一つになっていく感じがしました。
感動でした。楽しかったです。ありがとうございました。



今回初めて参加させていただきました。
たくさんの気づきがありました。
まず、自分の意識をおく所によって違うことや、他人格の確認をすることが出来るようになりました。
エネルギーも感じることが出来、体が身震いしたり、何があったか分からないけど心の平穏を保てたり、ムーラマントラを知らないのに、言えたりして不思議でした。
不思議体験でした。聞くのではなく、実感ですね。
ありがとうございました。



2日目が終わりとても楽しかったです。
また参加したいです。
すごーく二日間眠たかったです。
浄化されているのだと思います。



4月にギバーになりました。
その時から何かが引っかかっていました。
7月になってから参加するつもりで休みを取っているのに、なかなか参加申し込みが出来ませんでした。
7/10昨日ものすごい恐怖が出てきました。
震えが来るほどの恐怖で、今のものではない、過去のものだと感じました。
逃げたかったけれど逃げずにじっと感じました。
感じていると少しずつ恐怖が小さくなってきました。
やっと参加申し込みする気持ちになって今日参加しました。
今は恐怖はありません。
ムクティディクシャをしてる時自然に「全て委ねます」という言葉が自分の中から出てきました。
私は私のプロセスを進んでいきます。
リズムに乗りながらのマントラ良かったです。
4月に受けた時よりパワーを感じました。
(自分が変わったということかもしれません。)

2010年7月12日月曜日

不幸は、考えが作っているのか?

ついここ数日の状態です。

私の両親は15歳の時に別居して、その後2~3年、くっついたり離れたりを繰り返して、結局離婚したのですが、
私と妹はあっちに引越しこっちに引越しと不安の中で生きていました。

父はほぼアルコール中毒で、昼間から酒を飲み、父と二人で暮らしているときには、夜中だろうが
、酔っ払った父親にたたき起こされて母への罵詈雑言を聞かされ、
母と暮らしているときには、母と付き合っている男性から、怒鳴られ、これまた安心とか親の庇護とか暖かさとかとは、無縁の生活でした。

なるべく感じないように生きていたので、なんとか生活を送っていました。学校にも通っていましたが、
友達にはこんな家庭の事情を知られては恥ずかしくて生きていけないと、
表面では、普通の家庭の子供です、みたいな顔をしていましたが、苦しみで死にそうでした。
誰かに打ち明けたかったけど、相談したかったけど、誰もいませんでした。

そんなこんなの暗い過去を思い出しながら、
私はなんて不幸な人間なんだろうと思い続けるわけです。

あれもこれも不幸だ、と思い続けているうちに、あれ、なんだかおかしいのです。

今は、かわいい宝物の子供が二人いて、優しい夫もいるのに、過去の出来事を想い出しながら、
私は不幸せだ、不幸せだ、と自分に言い聞かせているような、不幸な自分を、今、
作り上げているような・・・

そして、今朝、床を掃きながら、「今日は自分の時間がどれくらい持てるかな?
ああ、子供をちょっとでも預けられる、じじ、ばば、が近くにいる人は羨ましいな、私って、不幸だわ」
とまた、自分は不幸だという考えというか思い、が頭の中を流れました。

しかし、流れていくだけで、全然不幸じゃない。
「私は不幸だ」という考えが見え?!ました。そして、自分の思考パターンがよくわかりました。

なんだか不思議です。マインドの下にいたのが、上にいるみたいです。


そして、ディクシャのおかげかもしれない出来事があって、それは、夫の両親の住んでいるところの出来事です

夫の両親は高齢ですが、まだ元気で二人で暮らしているのですが、元気といっても80近くの二人のこと、いつ何が起こってもおかしくはなく、夫は心配していました。
とは言っても、一緒に住むと言うのもちょっと難しい状況でした。私も、二人が健康で幸せでありますようにと祈りながら、遠隔ディクシャをしてきました。

そしたら、同じ敷地にある、夫の曾おばあちゃんが住んでいたボロボロの空き家を、買いたいというご夫婦が現れて、
買ってくれることになりました。

夫は、ほんとうに良かったと言って今は安心できているみたいです。

内面でも、現実世界でも、いろいろな小さい奇跡が起こり続けているようです

記憶が書き換えられてしまった

親子関係

10日(土)の、元気が出るセミナーでの体験です。

人間関係、特に親との関係を振り返り、赦し合うためのセッションでのことでした。

私はこれまでにもこのセッションは何十回とやってきて、効果も実感しています。

若いころ(?)はふらふら生きて、ずいぶん両親を困らせていた私ですが、今ではとても良い関係になれたと思っています。

父はすでに亡くなっていますが、その父とも亡くなる前後に良い関係を取り戻せました。

そんな感じで、現在は両親との関係に特に問題もないと思っていたので、あくまでスタッフとしてセッションの様子を見ているつもりでした。

ところがところが~、セミナーの空間のエネルギーがすごかった上に、いつも以上にリラックスしていたことも重なり、私はかなり意識がはっきりしたまま、セッションに導かれていったのです。

一応セッションの流れどおりに、両親との間で起きた出来事を思い出して、傷付けたことを謝っていたのですが、途中からビジョンが見え始めました。

両親それぞれの方の祖父母が現れました。

とてもパワフルで幸せそうです。

私を見守ってくれていることがわかります。

続いて、今は亡き父が現れました。

そして、「お前がどんな生き方を選ぼうとも、お父さんはお前を応援するよ」と言ってくれました。

ええ話や…と言いたいところなのですが、意識がはっきりしている私は、突っ込まずにいられません。

「おいおいっ!親父はそんなキャラじゃねえだろっ!」

私の記憶の中では、父に無条件の愛情を示してもらったことはないのです。

でも、私の暴言にイエローカードを出すこともなく、父はニコニコ笑っています。

ありゃ、抵抗してこないぞ~

こうなると、こっちの分が悪くなります。

『そんなこと、生きてるうちには一度も言われたことないのに…』

『でも、今はっきりと言われちゃったんだよな~あうあう』

そして今度は、両親がいつもお互いに本音で話していて、とても仲良しだというビジョンが見えてしまいました。

これまた、私の記憶とは食い違うのです。

そんな姿、見たことねえ~

しかししかし、ビジョンは圧倒的なリアリティで迫ってきます。

こうなるともう、『事実』ってなに?という話です。

記憶が正しいの?

ビジョンが正しいの?

私はどっちがいいの?

断然、今見えた方がいい!

というわけで、私は仲良しの両親のもとで、愛されて育ってきたことにしちゃいます。

不思議なもので、以前の記憶はちゃんとそのままあるんですよね~。

でも、別の世界の話というか、自分とは関係ない物語を見ている感覚なのです。

『ん~記憶の捏造、学歴詐称ならぬ人生詐称ですぞ~』という内側のコメントも聞こえてきますが、もうこっちが本当です。

私は仲の良い両親のもとで、思いやりをもって大切に育てられました!

嫉妬しなくなってしまった

一昨日と昨日はとても素晴らしいセミナーでしたね!ありがとうございました!
お部屋も広くて、のびのびできましたし、いやー、楽しかった。


私には、いま現在1年くらい片思いしてる人がいまして。その人は、今は自分の夢を実現するために頑張っているため、誰とも付き合わないと決めている人です。

とても信念が強くて(頑固)マイペース。様々な、自分が決めたこうあるべきで雁字搦めになってるような気がして、もっと自由に生きてほしいと思ったこともありました。まぁ、私は彼をコントロールしたいわけです。

その人を好きだという子がいたら、嫉妬してその人に近づけたくないと思ったり。
嫉妬心に巻き込まれると消耗して大変です~。


ですが、もう変えなくていいや。と自然と思えるようになりました。
好きな気持ちに変わりはないのですが、その人が幸せであれば、それで良いやと。
ああ、変えなくていいというのは本当にラクですね。

その人を好きな誰かが近づこうとしても、分かるよ、好きなら近くに行きたいよね~なんて思えるようになりました。嫉妬心が消えたのは助かりました☆


また、ここのところ、嫌な感情が起こっても、しばらくすると消えるというか、気にならなくなってきました。
というか、その後問題がすぐに現実的に解決してしまうことが多いので、解決しない場合に、自分がその感情を引きずっているかの検証がまだ出来ていませんが。


劇的に何かが変わったわけではないので、よく分かりませんが、アウェインクニングへの拘りは少し薄くなったような…アウェイティングはしたいですが、してなくてもガッカリしないというか。まぁ、そのうちするだろー的な。

苦しんでいたお母さんのディバインプレゼンスは、阿弥陀様

マイダーリンの腰が順調に良くなっていき、2か月ぶりに畑の草刈りに行ってきました。

皆さまには遠隔ディクシャを頂き、とても嬉しかったです。悪くなった時は歩く事も困難だったのに、おかげさまで少しずつ、畑仕事が出来るようになりました。

腰が悪くなる前より、身体に感謝し身体をいたわるようになったとダーリンは言いました。

畑は、ダーリンの実家のすぐそばにあります。

畑仕事が終り、実家の物置に道具を置きにいったら、お母さんがお風呂を沸かして待っていてくれました。

お風呂をいただきながら、お母さんの思いやりを感じて泣けてきました。

お風呂が終ったら、ご飯が出てきました。

お味噌汁の具は、ダーリンの好きなものばかり入っていました。

ご飯が終ったら、良い香りのお茶が出されました。

もう、至れり尽くせりです。

お母さんが、いつものお得意のおしゃべりを始めました。

お母さんは若いときから精神的な病気を抱えている方で、その病気特有のおしゃべりがあるんです。

お母さんは物をなくすと、頭の中で、誰かが勝手に家に入って盗んだというストーリーになっているんです。

いつもと同じお話を聞いている時に???と思いました。

いつもと違う事をおしゃったからです。お母さんの口から初めて耳にする言葉です。

あれ? 何て言った? 今?

確か。。。こうおっしゃった。「いかんわーーー。誰かが入って持ってってまうんだわ。」その後、何てッた?。。。「だけどよー。 阿弥陀様が出してくださったのよ。」

ダーリンは、お母さんの言った言葉を聞き逃していた。

「え? お母さん、阿弥陀様って誰ですか?」と私。

「わたしも知らん」

あっそうなの?

「わたしも知らんのだけど、困った時に亡くなったお父さん(ダーリンの父)や母様に話しかけてたら、急に阿弥陀様が出てきてお願いを聞いてくれるようになったんだわ。なくなったと思っていた○○も出てきたし、△△も出て来たよ。」

「えーーーーー!? スゴーーーイ!」

今まで、お母さんは自分の事をとっても運が悪いとおっしゃられる人だったのが、今日は、わたしは運が良いとおっしゃっています。

家に帰った私は、さっそく阿弥陀さまをPCで調べた。

阿弥陀如来は指をオッケイマークにしている神様らしい・・・。


そういえば。。。

わたしは、10日ほど前の出来事。初めての私主催の「プレゼンス」というテーマのスカイプの時の事を思い出していた。

その時は、よりによってスカイプが始まる15分くらいまえに、いつもにも増して錯乱状態のお母さんから電話が入ったのでした。

今は話を聞いていられませんとダーリンが電話を切ったら、またかかってきたので今度は私が出ました。

よりによって、何でこんな時に?

お母さんの話を聞きながら、「はやく話を終わらせてーー」とプレゼンスに泣きをいれつつ、(お母さんもプレゼンスに話を聞いてもらえばいいのに)という思いになったので、落ち着いてきたお母さんにその事をアドバイスして電話を終わらせました。

「もっと話したい事があったら、何でも受け入れてくれる亡くなったお父さんにお話しして下さいね。わたしは9時から用事があるんです。」

「いつも死んだお父さんには、話しとるよ~。 じゃぁ、電話切るね」

「はーい(^^)/」

お母さんとバイバイした時は、電話をかけてこられた時とは、うってかわった明るい声でした。


そして。。。きょう。

お母さんに、いきなり阿弥陀様だ!

予測不可能な事が起こりました。

ビックリです!

いつもと違って怒られても平気

昨日のことですが、パソコンの友人に送るメールにグーグルで調べた地図を貼り付けたいのがうまくいかず、主人に教えてと言いました。

主人は目の前でやってくれたのにそれでもわからず???

「わかったか?」と聞かれ「わからへん」と答えたら大きな声で「あほか!!!」とあきれたようにどなられました。

今までだったら悲しくなったり、心の中で文句を言っていたりしていたのに、昨日は違っていたのです。

自分でもほんまあほやなぁと思えたのです。

小学生のころ算数がわからなくて父親に教えてもらったのに「わかったか?」と聞かれて正直に「わからへん」と答えたら、「お前は1から10まで教えてやってもわからへんと言うから教えられない。兄ちゃんは1つか2つ教えたらわかったと言うのに」となげだされてしまって、それ以来算数はわからない教科になってしまいました。

おまけに度々同じような場面にであう度に父とのその場面が出てきて悲しくなったり、理解できない自分を責めていました。

昨日はいつもと違って怒られても平気で、自分のことをおかしくなるくらいあほやなぁと思えたのです。

言葉に反応していないで客観的にみられたのです。

余計なコメントが出てこない

1000人イベントから、3日たちます。マインドのコメントが激減したのを感じます。

さっき、私がコンピューターのゲームをやっていたら、娘が話しかけてきました。

「その、ゲームで流れている、音楽は、楽譜であらわすとシミシミだよ。私、絶対音感があるから、わかるんだ。4歳からピアノやっているから・・・」こう言いました。

私は、「○○ちやん、すごいねーーー」と娘をほめました。



そのとき、ふと、気付きました。以前なら、娘が絶対音感の自慢話を私にするたびに、いつもマインドのコメントが入りました。

「だれの、おかげで絶対音感を身につけたの?4歳から毎週ピアノ教室にお母さんが車で送迎してあげたおかげでしょう?!」このように、マインドのコメントが入りました。

ただ、それを、口に出すかどうかは、その日の気分で決まりました。私の機嫌が悪い時は口に出して、娘に感謝するようにいいました。



それが、今日は「だれの、おかげで絶対音感を身につけたの?」というコメントが入りませんでした。すなおに、娘をほめました。そして、気付きました。「あーー、もしかして、これが、自分がいないということなんだ」

自分がいないとは何か、言葉ではなく体験で少しわかったような感じがしています。









あなたが、コメントしているのでしょうか?

コメントが、あなたを作っているのでしょうか?

あなたが、考えているのでしょうか?

考えが、あなたを作っているのでしょうか?

中3女子生徒2人による自宅への放火「親憎く、互いの家に火つけようと」

中3女子生徒2人による自宅への放火「親憎く、互いの家に火つけようと」
こんな記事がありました。

みなさんはどう感じますか?

私は事件を肯定するわけではありません。
この記事を読んでいて、子供達の苦しみと、親たちの苦しみを感じました。

親に憎しみを持っているのは、彼女たちだけではありません。
もしかすると、ただ理性で我慢しているだけの子供たちが、星の数ほどいるのかもしれません。
また、親を憎んだまま、大人になった人たちもたくさんいます。

苦しんでいる親が、子供を苦しめる。
その親は、社会の中で苦しめられているのかもしれない。
または同じような苦しんでいる親から、苦しめられて育ったのかもしれません。

この記事の最後の校長先生の言葉が、心にしみます。





放火2少女「親憎く、互いの家に火つけようと」
7月9日14時56分配信 読売新聞

 「親が憎かった。お互いの家に火をつけようと約束した」。

 兵庫県宝塚市で9日未明に起きた、中学3年の女子生徒2人による自宅への放火・殺人未遂事件。1軒目に放火した2人は、徒歩で次の家に移動し、油をまいたところで、家族に気づかれた。これほどの凶行に駆り立てた「憎しみ」とは、何なのか。同級生や近隣住民に、恐怖と戸惑いが広がった。

 「子どもの友達が、親を殺してここに来たと言っています。怖いんです。早く来てください」

 宝塚市内の女性から、宝塚署にこんな通報があったのは、9日午前3時15分頃。
署員が約30分後、女性の自宅に駆けつけると、玄関に女性の娘と友人の中学3年の女子生徒2人がいた。任意同行を求められると、2人は素直に応じ、そのまま署に向かったという。

 県警によると、2人は午前2時50分頃、うち1人の女子生徒(15)宅で階段に着火剤をまき、放火。その後、徒歩でもう1人の同級生の女子生徒(14)宅に向かい、2階の台所に火を放とうと食用油をまいた。
 だが、2軒目に火を放つ前、2人は自室で寝ていた同級生の兄(16)を起こし、「逃げろ」と伝え、異変に気づいた兄から母親へ、母親から警察へと、通報された。
 2人は取り調べに対し、容疑を認め、それぞれの親への憎しみを明かし、一緒に自宅を放火する計画だったことを明かしたという。

 同市教委や同級生らによると、15歳の女子生徒はブラジル出身で、幼い頃に来日したという。2人は中学1、2年時に同じクラス。現在は別のクラスだが、休み時間によく話をするなど、仲がよかった。

 おとなしく目立たないタイプという2人だが、事件前日の8日には、クラスメートらを前に、こんな話をしていたという。
 「3年後にまた会おう」「あした学校がどうなっても知らんで」
 話を聞いた男子生徒(15)は「火事のことを聞いて、まさかこんなことをするつもりだったとは、びっくりした。一体、何を考えていたのか」とぼう然とした様子だった。

 2人が通う中学は9日午前、緊急の全校集会を開催し、生徒に動揺しないよう、呼びかけた。その後、記者会見した校長は「2人とも、自分の気持ちを素直に表現してくれる生徒だっただけに驚いている」と話した。






ちょうど今日、今でも無意識に親の意見を特別扱いしている自分に気付きました。

その体験とこの事件のニュースから、ミクシィにこんな日記を書きました。

タイトル:親の意見

『親の意見と茄子の花は、千に一つも無駄はない』

…なんて言うらしいですね。

茄子の方はよく知りませんが、親の意見って、ホントに無駄がないよな~と思います。

・・・んがしかしっ!

親の意見は、無駄こそないかもしれませんが、正しいとは限りません。

そして親の意見は、従わなければならないものではありません。

なぜわざわざこんなことを書くのかというと、私自身が無意識の内に、親の意見は正しく、
従うべきものだと自分をプログラミングしていたからです。

私は親が好きです。

大切にしています。

でも自分の意見、考えがあります。

親の意見と私の意見が対立したとき、どうすればいいでしょうか?

昔は、気が進まなくても、親の意見に従っていました。

ときには、逆らっても無理やり言うことを聞かされました。

力で押さえつけられたこともあります。

そういうことを繰り返した子供は、どうなるかわかりますか?

親を嫌い、恨むようになります。

表面上は親孝行のフリをするかもしれませんが、嫌々やっています。

昨今の痛ましい事件の背景にも、そんなことがあるかもしれません。

今私は、親の意見も無駄にせず参考にして、自分の意見を通します。

そうするようになってから、だんだん親への恨みが軽くなってきました。

従わなくてもいいんだ!と内側で確信できると、進んで従うことができたりもします。

そのときは、従うことを楽しんでいます。

あなたは、自分の意見を自分で通しましょう。

あなたはそうやって生きていいのです。

自分らしく生きていくうちに、親のことも許せるようになっていくでしょう。

もしあなたが親なら、もう子供に自分の意見を押し付けるのをやめましょう。

あなたの意見は、あなたにとってだけ正しいのではありませんか?

他の人にとっては正しくないという可能性を考えてみてください。

あなたの言うことをよく聞く、あなたを大嫌いな子供に育てたいですか?

あなたに正しいと思う意見があるなら、それを自分で生きればいいのです。

そして本当は自分も苦しかったんだと気づいたら、内側の本当の声に従ってみましょう。

今まで押し付けてきたことに気づいたら、子供に謝ってみましょう。

多少時間はかかっても、子供はあなたを許し、押し付けずに応援してくれるあなたのもとで、
のびのびした自分を再び取り戻すでしょう。









わたしの住んでいる地域は農家が多いので、夏は茄子を育てている農家が多いです。

茄子は、花が咲いたら咲いただけ全部実が実るそうです。

*・・・・*・・・・*・・・・*・・・・*・・・・*


私は、親の意見には絶対従いたくない!って決めてたほうです。

それはそれで、苦しかったし、自分にとっては損してた事も多かったような気がします。

今になって、あの時従っておけばよかったなぁ~って思う事もあります。


《放火事件の感想》


「あの時は、それしか出来なかった。」

友達のお互いの家に放火した子も、親も「それしか出来なかった」んだと思うんです。

先生からは素直に話してくれる子供に見えても、子供からみたらそうではなかった。

友達には話していたと思うけど、その友達も同じ事で苦しんでいて第3者的な見かたはできなかっただろうから、お互いの家に放火しようってなったんだと思う。

その親も、もしかしたら同じように周りからのウケはよかったのかも知れません。

親も子も、苦しい部分を素直に話せる関係の人が(第3者が)いなかったのかも知れないなぁ~。

子供にも、親にも、心の内を安心して話せる誰かがいたら・・・・そう思います。

そういう人になれたらいいな。








この事件と重なる記憶があります

私の場合、放火ではなく家出でした

友達と二人で家出を計画していました
学校も家庭も安心して吐き出す場所はなく
同じ悩みを持っていた友達と一緒に下校して人目のつかない場所で、計画をたてていました。

家出しても苦しかったら自殺をはかる事も話していた事を覚えています

計画する時、罪悪感はありませんでした
変にワクワクして話していた気がします
とにかく苦しい状況から逃げたくて
毎日が胸のつまる日々でしたから
そこから抜け出す事が家出だと私達は思ったのだと思います

周りなんて見えませんでした。どうなるかなんて事も思わなかった

友達は家出する計画をした日を待てず
突然、私に「もう我慢できないから、今から出る」と言って先に出ました

次の日学校は大騒ぎになっていて

いつも一緒にいた私は
先生に呼びたされ
私は必死に隠し、知らないりをしましたが

結局バレてしまい
警察で事情聴集をうけ
友達のご両親の泣いてる姿を見て
初めて自分のした事に気付きました

この事件は放火という形でしたが
私達のあの家出事件と同じような感じだった気がしました

苦しみは自分で勝手につくっているんだな・・・

昨日の、1000人イベントでのアンマ・バガヴァンの目によるディクシャを受けた後、とても幸福感を感じました。そのとき、ふいに、1週間前の元気セミナーのスカイプセミナーでのことを思い出しました。そのセミナーで、私に話をふられたときに、突然思い出して、ミスタードーナツの話をしました。そして「あの時は、苦しんでいたな・・・・」と1000人イベントのときに思いました。

ミスタードーナツの話とは、今から26年前にさかのぼります。当時20代の前半で、会社つとめも2年目くらいの新人のころです。私は臨床検査技師で、毎日、学校や会社などにバスや車で出張し集団検診で心電図をとったりしていました。そのときの体験談です。

会社に3歳年上の、Sさんという女性の先輩がいました。その先輩にある日、「明日、第4中学校にいくなら、通り道のミスタードーナツで、ポイントがたまっているから、弁当箱と交換してきてくれる?」このように、たのまれました。私は、数秒考えて、「いいですよ」と答えました。
そのときの、数秒間で葛藤し「先輩のたのみを断ると、まずいかもしれない」という結論をだしていましたが、「そんなポイントの交換、自分でいけば、いいのになーーー」というのが本心の気持ちでした。

次の日に、検診の帰りみち、デパートの中にはいっている、ミスタードーナツなので、駐車場に車をとめ、駐車料金300円くらいかかり、ミスタードーナツでは、景品にかえるだけでは、ちょっとはずかしいので、ドーナツ3個を買って300円かかりました。食べたくもないドーナツを買って、全部で600円の出費、私は、なんで、こんなことしなくちゃならないのだろう・・・そう思いつつも、会社にかえり、笑顔で先輩に弁当箱を渡しました。
「どうもありがとう」といわれたけど、なんか釈然としないまま、その思い出は私の無意識のなかに、「わがままな先輩 怒り」ということで、蓋をされ26年間眠っていました。

そのことを、スカイプセミナーのときに、26年ぶりに無意識のふたを開けて引っ張り出して、言葉で話し、意識レベルに引き上げました。そして、その思い出は、私が勝手に  
「わがままな先輩 怒り」、というストーリーをつくっていたと、気づきました。

7月7日の、1000人イベントのときに、そのことを、ふっと思い出しました。「あのころは、若かったけど、くるしかったな・・・・」
「今はとても、幸せだな」

今だったら、いやだと思えば、「明日は、ミスタードーナツのところは通りません」とか言って、うまく断る。そうすれば、怒りでも何でもないのに・・・・
それなのに、あのときは、「いいですよ」と、自分でOKを出しておいて、後で、「わがままな先輩 怒り」 ということで、ストーリーをつくり、レッテルをはり、26年間しまっていたんだなと、きづきました。

無意識は本当に勝手に怒りのストーリーをつくって、貯蔵している。また、自分が苦しいときには、苦しみをつくる方向に考えがはたらくんだなとも思いました。


いまなら、ハートにアンマ・バガヴァンがいて、幸せだから、同じ状況でも、純粋に先輩を喜ばせようと、喜んで小間使いをしたかもしれないな・・・・
つまりは、自分が幸福か、苦しんでいるかで、すべての、とらえ方が変わってくる。結局苦しみは自分で勝手につくっているんだな・・・
そんなふうに考えながら帰路につきました。

「グリフィンの祈り」

「グリフィンの祈り」

大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に

求めたのに謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

よりよきことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中の言いあらわせない祈りは、すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

私が、ありのままの彼女を受け入れてなかった

先週のスカイプセンナーで「ジャッジ」についてのお話がありました。

 以前長女について、「鎧で固めたガチガチの姿が私の心に浮かんできます」と話したことがありました。(このごろまったく浮かんできませんが・・)

 これまで私には、長女が、力いっぱいブレーキを握りながら一生懸命自転車をこいでいるように見えていました。・・・なんとか楽にしてやりたいとずっと思っていました。

 でも原因のおおかたは私にありました。

 先日のセミナーの翌々日のことです。

次女と長女の話しているとき次女が
「お姉ちゃんはちょっとおかしな所はあるかもしれないけれど・・・・・」
「・・・おかあさんがありのままのお姉ちゃんを認めてあげたら・・・」

次女に言われてはっとしました。長女の姿をみるとき、私の心には
「本当ならこの子はもっとのびのびした子だったのに・・・かわいそうに・・」
という思いが常にありました。

これって≪私が、ありのままの彼女を受け入れてなかった。≫
本当なら・・なんて言い草は、私が今の彼女を否定して見ていた・・・ということだった。

私にこんな思いを込めて見られていたから、彼女は自分を否定しながら苦しんで生きて来なければならなかった・・・とようやく気付きました。

私が長女をずっとジャッジして苦しめていた・・・のです。
彼女が楽になるためには、まず私がありのままの彼女を受け入れることから始まる・・・。

あまりに恐ろしいことに気付いて、書かずにはいられませんでした。

懺悔・・・です。

でもありがとうございました。・・・セミナーに参加していて(聞くだけですが・・・)本当に良かった。

ありがとうございます。

あれはバガヴァンだったんだ

アメリカの修養会での話ですから、8年くらい前になると思います。

ある女性の体験です。
彼女は、数年前国内の道で道路から外れて横転し、事故ってしまいました。
町と町の間の道で、数十キロは店や民家もありません。
手足を骨折しており、身動きもできません。
死を覚悟したそうです。
すると、大きなトラックが止まり、ひげを生やした男性が近寄ってきました。
「すぐに救急車が来ますから、安心してください。」といい、すぐにクルマに乗り込みました。
その直後に救急車が到着し、助かったそうです。
ただ、あまりにも早かったので、不思議に感じていました。

その数年後に、彼女は修養会に参加しました。
そこには、アンマバガヴァンの写真がおいてありました。
彼女は、その写真を見てびっくりしました。
あのとき助けてくれたのは、まさにバガヴァンだったのです。

不安が愛しさに変わった

多くの人たちは、怒り、憎しみ、心配、恐怖などのような好ましくない感情から逃げる方法を無意識に身につけてきました。
覆い隠したり、他のことをして紛らわしたりします。
しかも、それによって、記憶に張り付いたまま、その好ましくない感情が残ってしまうことを知りません。

好ましくない感情でも、その場で体験しきってしまえば、その場で悦びになって、なくなってしまうのです。




エゴ(自分という感覚,自分のものという感覚)とマインドが協力して心配、不安、恐怖、などを起こすというお話がありました。

「不安は、自分や、自分のものを維持させるためのものなんです」と話されました。

それを聞いた時に、きのうの出来事を思い出しました。

きのう、スーパーマーケットにあるキャッシュコーナーからお金を引き出したんですが、残高を見た時に「お金がなくなってしまったらどうしよう」という不安と心配と恐怖がやってきました。

エゴが強まっているなぁ~と思いました。
でも、この際だからエゴをなくそうとするよりは、エゴを捕まえていようと思いました。

エゴをなくそうとすればするほど、強まる事を知っているからです。

お買い物のカートを押しながら、その不安,心配,恐怖の感情の中に浸っていたら、身体がなんだかいつもと違う空間にいる感じがして、歩いているのに歩いていないようで、そのうち自分がいなくなっちゃって、カートだけが勝手に動いているという感覚になりました。

そして、目に映る、手に触れる何もかもが愛おしく感じられました。

不安という感覚でさえ、愛おしいんです。

スーパーで買い物しながら、ニヤニヤしている私ってホント幸せなヤツですよね。

2010年7月5日月曜日

私を助けてくれたあの人は・・・

ある日の夕方、私は車にガソリンを補充するために、いつものガソリンスタンドに寄りました。

ガソリンスタンドを出て、広い道から左の脇道へ曲がろうとして、ふと時計をみたらちょうど夕方の6時、バカヴァンからエネルギーが流れてくる時間でした。

「あ、6時だ」そう思いながら道を曲がると・・・「えーーーっ!嘘でしょう?」いつもと違う道の状態に私は愕然としてしまいました。

ただでさえ、狭い道が、道路工事のために、ごっそり削り取られていたんです。 
しかも、道路の脇には太い柱が立てられていて、削り取られている部分に落ちないように行くとすると、それと車の間はほんの数センチしかありません。

曲がってきた道は、車がびゅんびゅん通る国道なので、またバックで戻るわけにも行きません。

「どうしよう・・・」と立ち往生していたら、すこし離れた駐車場にとめてあった車のドアが開いたと思ったら、すごい勢いで男の人が走ってきて、笑顔で私を手取り足とり助けてくれました。

「バックミラーを倒してね。ハンドルを左に回してみてー。はい、ストップ。じゃあ、ちょっとずつ進んでね。左は大丈夫ですよ。」

親切な丸顔の男の人の誘導で、やっとそこを通りぬけました。
私が通り抜けたのを確認して、男の人は自分の車に戻りました。

でも、、、喜んだのもつかの間、すこし進んだらさっきと同じような太い柱が立っているのを見つけて、またもや困難です。

「あーあ、どうしよう。」

すると、さっきの男の人が、またビューーンとすごいスピードでけっこう離れたところから走ってきてくれるではありませんか? もう車に戻った人が、また来てくれるとは思ってもいませんでした。

「ありがとうございます。 ホントにホントに助かりました。」

とっても幸せな気分でした。
すごく満たされていました。
こんな人が、いつもそばに居てくれたらいいなぁ~。
そう思い、なにかが???と思いました。

どこかで、見たことのある顔だったのです。
あれぇ? 誰だっけ?

「あーーー! さっきのはバカヴァンだ!」

バカヴァンが髭を剃って、髪の毛黒くして、スーツを着た
ら、さっきの男の人の顔になるんです。
とってもビックリしたけど、そうなんです。
これ、私の勘違いでもいいんです。
なぜなら、この出来事を通して、プレゼンスへの信頼感が大きくなったからです。

*プレゼンスは、私が窮地に立たされた時は何度でも助けてくれる*

その事を確信したからです。

カートを押している私がいなくなった

スカイプセミナーのお話で、エゴ(自分という感覚,自分のものという感覚)とマインドが協力して心配、不安、恐怖、などを起こすというお話がありました。

「不安は、自分や自分のものを維持させるためのものなんです」と話されました。

それを聞いた時に、きのうの出来事を思い出しました。

きのう、スーパーマーケットにあるキャッシュコーナーからお金を引き出したんですが、残高を見た時に「お金がなくなってしまったらどうしよう」という不安と心配と恐怖がやってきました。

エゴが強まっているなぁ~と思いました。
でも、この際だからエゴをなくそうとするよりは、エゴを捕まえていようと思いました。

エゴをなくそうとすればするほど、強まる事を知っているからです。

お買い物のカートを押しながら、その不安,心配,恐怖の感情の中に浸っていたら、身体がなんだかいつもと違う空間にいる感じがして、歩いているのに歩いていないようで、そのうち自分がいなくなっちゃって、カートだけが勝手に動いているという感覚になりました。

そして、目に映る、手に触れる何もかもが愛おしく感じられました。

不安という感覚でさえ、愛おしいんです。

スーパーで買い物しながら、ニヤニヤしている私って,ホント幸せなヤツですよね。

2010年7月4日日曜日

宇宙はガイドされている

あらゆる存在は、宇宙の創造主のガイドを受けています。
でも、現代の人間はその感覚を失ってしまいました。
動物たちは、知識はないかもしれませんが、ガイドしてくれる存在とつながっています。

動物たちが教え合っているわけでもないのに、同じような行動をとるのはとても不思議ですよね。



スイスでは、議会で禁猟区を決定したとき、鹿がその地域にみんな逃げてしまったそうです。
人間が教えたわけでもないのに、不思議なことがあるものですね。


アマゾンの水上で暮らす民族達は、キツツキの巣のある木の位置や高さを見て、どの土地にどんな作物を植えるのか決めるようです。
キツツキの巣は、一定期間は水没しない位置に必ず作るそうなのです。


ある地域の国定公園では、密猟者が現れると保安官の家の上に鳥が集まって、密猟者が現れたことを知らせるそうです。




有名なのは、スマトラ沖の地震のエピソードですね。
2004年12月、私がインドの21日コースから帰ってくるときの出来事でした。

インド洋津波は、史上最大の自然災害で、25万人以上の人が、命を落としました。
しかし!多くの動物達が被害を免れていました。
インド南岸のフラミンゴの群は、津波に襲われる数時間前に安全な森に避難し、スリランカの犬達は、朝の散歩を拒み、タイの水牛達は、いっせいに丘へ登り、それを追いかけた人も命拾いしました。

観光用のゾウが、津波が来襲する前に近くの丘へ疾走!その結果、背中に乗っていた観光客は津波の被害から免れ、九死に一生を得たという話が事実としてあるし、別の地域では飼育されていたゾウ8頭が突然鳴き始め、つながれていた鎖を引きちぎって丘に向けて駆け出したという事実も伝わっている。

 また、津波の被害が大きかったスリランカの国立公園にはヒョウやゾウ、野ウサギ等、多くの野生動物が生息しているのだけど、津波による動物の死骸は発見されなかった!政府の野生動物保護の担当官は「動物には天災を感知する能力があり、第六感で異変を察知したのだろう…」とコメントしていたそうです。

1995年1月17日の阪神淡路大震災では、ネコや犬たちが異常に騒いだり、いなくなったり、おびえたりしていたそうです。ボラが群れをなしたり、鳩が騒ぎながら方向感覚を失って飛んでいくこともありました。いつもカラスが群れていた木にはカラスが一羽もいなくなることもありました。

また、ペットのネコや犬が、かみついたり吠えたりして起こしてくれたために助かった人達もいました。

Wくんのディバインプレゼンスの体験

プレゼンスの体験談といえば、ディクシャとの出会いがそうです。ディクシャに出会う前、ちょうど苦しさで一杯の時、「神様なんていない。」と、家で母親とけんかした際によく大声で叫んでいました。その後、ディクシャと出会うわけです。
そして、ディクシャを最初に受けた時、自分のハートのあたりに、シュリムルティーのようなバガヴァンがくるくると回転していました。それはその後何時間も続いたように思います。
そうして、ディクシャに導かれていきました。


父親が亡くなった日、ちょうどその時期は苦しくで鬱々としていました。その日も父親に会いに行くつもりはなかったのですが、なんとなく母親と行くことにしました。父親は熱発していたのですが、意識はしっかりとしており、まさかその日に亡くなるとは夢にも思いませんでした。しかし、帰り際の父親の顔になんとなく違和感を覚えたのも事実でした。
父親はさようならと言っていましたが、それは本当にさようならでした。その後、3時間くらいして父親は亡くなりました。
その日、なんとなく父親のところに出掛けていなければ、父親に会うことが出来ませんでした。
これもプレゼンスの力が働いたと思います。
母親は父親に最後に会えて良かったと後で喜んでいました。


プレゼンスにあたらめて感謝。