2010年11月1日月曜日

遠慮していたことに気付いた

スカイプの講座で様々な気づきが起こり、
解放のプロセスが進んでいくことを実感することがよくあります。
初めての方でも参加できることもありますので、
良かったら参加してみてください。
http://www.goldenage.jp/genki/skype-ss.html



いつもいただきっぱなしです。
ありがとうございます。
遅くなりましたが、書かせていただきま~す。

22日のスカイプサットサンガのワークの中で、自分の欲しい
もの、そしてそれを得ることを妨げているものを見ました。

自分でも驚いたのですが、まわりの人たちに遠慮する思いが
ありました。
特に、仕事の中で接する人たちに対しての思いでした。
その人たちは欲しいものを得られずに苦しんでいるように
見えるため、私が豊かさを手にすることで、その人たちを
刺激してより苦しめたくない…と思っていたことがわかりました。
私がしあわせになればなるほど、彼らのジェラシーが強くなる
から、私はほどほどのもので妥協しよう…と考えていたわけです。
職場では新婚のノロケ話もほとんどしません。

思いやりのつもりでしたが、自分の方が相手より上だと思って
いたわけですね。
「私は欲しいものを手に入れられるけど、あなたたちは難しい
よね。だから自慢しないでおくよ。」というわけです。
なんという嫌味なヤツでしょうか。

実際つい最近、それを象徴するような出来事がありました。
以前からスクーターが欲しいと思っていたのですが、突然
譲ってもらえることになりました。
それが見事に、『この程度のものなら、だれもジェラシーを
感じないだろう』という古さのものでした。
わかりやすいですね。

得られないということに対して苦しみを感じることがあまり
ないため、気づきませんでした。
苦しみが減ってから、以前ほど自分を探求しなくなりました。
それについての良い悪いもないのですが、「遠慮する」という
ことが習い性のようになっているのは、ちょっと面白くありません。
私自身、遠慮されてもあまりうれしくないのです。

「相手のため」という訳のわからない口実(ウソ)で自分を
抑えるのは、やめようと思います。
私はもっともっとしあわせになりたいのです。
もっともっと自分に素直にわがままに、自分が心地よいという
ところに焦点を合わせようと思います。

ちなみにスクーターは大切に乗っていま~す。

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